2024
02.09

変化スピードの時代に対応するには環境を変化する事

Dedicated to 5%

2011年3月11日 

その日、三陸沖を震源として発生した「平成23年東北地方太平洋沖地震」はマグニチュード9.0を記録し、国内観測史上最大級の地震でした。 

この地震に伴いつなみ、福島第一原子力発電所の複合災害が発生しました。 

この時、僕は震源地から5500㎞離れた南半球のバリ島でテレビのニュースに見入っていたのですが、目に映る未曽有の光景に僕はこの後の生き方というか価値観を変えられてしまったのです。 

2009年の暮れに僕はバリ島へ移住したのですが、そのきっかけは長年続けていた日経225先物トレードである日、一日の値幅が40円というのを経験したことにありました。 

バブル崩壊以降、ブラックマンデーそして2008年のリーマンショックを経て疲弊し続けた相場はもはや動く力もなくなり、さすがに値幅40円の市場ではどうにも稼げないところまで来てしまったのです。
それを機に僕はトレードを引退する決意をしたのです。
 

今でいうFIREですが早期リタイヤして後は南国でのんびり暮らしても良いじゃないか。

まあお遊び程度にFXトレードをたまにはやってなんて考えたわけです。

バリでは暇だからブログなんかも書いたりして、タイトルは「南国プールサイド・カウチカクテル・トレーダー」なぞとふざけた生活(笑)を1年続けていたのです。 

常夏とまとわりつく湿気に体も思考もレイドバックした環境で、ただ毎日スパに明け暮れ生産的なことはなにもしていない生活。 

望んで始めた引退生活でしたが、1年する頃にはどこか違和感を覚え始めたタイミングで目にした光景は街を飲み込む巨大な津波。

この瞬間に僕の価値観は一変したのです。

「こんなところで世捨て人を気取ってる場合じゃない」その時本気で思ったのです。 

15日福島第一原発の事故を受けて日経平均が暴落。
前日比1015円の下げはアジア、ヨーロッパ、米国市場にも飛び火し世界同時株安を併発しました。

 そんな折友人からの不意の電話がありました。
僕が日本を離れる前に日本の証券会社で勤務していた彼は、今はロンドンの証券会社でCEOを任されているという。
 

僕にその証券会社でのディーリングと社内ディーラー教育を頼みたいとの申し出でをしてきたのです。
かなり無茶振りな要求を一方的に話して僕の返事を聞かずして電話を切り、翌日彼はバリへ飛んできたのです。
 

後にして思うとあやつも株安のあおりを食って切羽詰まっていたのかもしれません。

その夜はサヌール、クタ、スミニャックと飲み歩き懐かしい昔話に騒ぎ、翌日デンパサール空港で「よろしく頼む」と残す友を見送り、その時僕は日本へ戻る決意をしたのです。 

福島震災が僕の帰国とどう結びついたのか分かりませんが、破壊の光景が僕の中に居る「やる気スイッチ」を押したのは間違いありません。 

1週間後に僕は先ずロンドンへ飛んで、友人とこの先の活動構想を打ち合わせ、次に日本へ帰国して一時は引き払った神戸で再度自分のトレード環境を整えるのにパソコンを揃え、トレーダーとして再スタートを切るのです。 

それまでは自分の為だけのトレードだったのが、友人の会社のディーラーであったり資金を預ける顧客の利益だったりの為に活動するという方向へ変化したのです。 

バリでの長い余生への隠居生活という予定は結局1年間の休暇に変わり、あれから10年以上今日までおよそ休暇と呼べるものは皆無で、何か取りつかれたように生産性を求め続けてきているのです。 

人によって変化のきっかけは様々でしょう。
ただ一つ言えるのは何かのきっかけで、心の中に強い訴えがあった時にはそれに従って現在の環境を思い切って変えるのです。
 

そうする事で人は次へのステージに移行していくものだと思っています。

これまでの何度もの体験から、そしてこれからも。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。