2020
08.16

【Like a rolling stone】⑧

PURE LIFE

良く来たな!

師匠のその一言で、僕はその日の内に青山でアパートを借りて翌日から弟子入りするのです。

後に聞かされたのですが、師匠は僕が弟子入りに来ることも最初から分かってはったそうです。

聞かされた時は「えっ!ほんまかいな」「なんて凄いんだこの人は」と驚き。
その内に「このおっさんええ加減な事言うとんのとちゃうか」と疑い。
しかし更に後には「やっぱりこの人は凄い人なんだ」と思ってしまうわけです。

そんな師匠と僕の何とも恐ろしい、何とも幸せな1年間のお世話(いや弟子入り)生活が始まるのです。

何しろ朝の早いおっさんで毎朝6時には師匠宅に到着しておくんです。
しかし当時の僕は朝の早いのなど全然苦になりません。
ちょっと前まで24時間勤務でタクシー乗ってたんですから。

さて僕の修行は先ず師匠から方眼紙を渡されるところからでした。
そして師匠が提示する「数値?」をグラフにして書いていくのです。

「おお!これは気学での統計学みたいな事をやってるのかな」
最初はそんな事を思いながらワクワクして作業を進める毎日でした。

1ヶ月経ち、2ヶ月が過ぎ、そして3ヶ月。
書き続ける方眼紙は繋げていくと部屋一杯に広がるほどです。

その頃になるといったいこれは何をやってるんだろうと考えるわけです(やっとかよ)
ちょっと疑いの念が出てくる。

「先生、これは気学なんですか?」と尋ねると
「まあ良いからとにかく作業を続けなさい」と返ってくる。

しかしその頃になると流石に疲れも出てきたのもあって「なんかおかしい」と疑い始めるのです。
とにかく来る日も来る日もやる事は、ただ方眼紙にチャートを書くだけなのですから。

そこは師匠、敵もさるものです(笑)

そんな僕の気持ちをいとも容易く見透かしてくるから、怖いんやなこのおっさんは。

作業を終え夕方になると師匠は僕を連れて銀座へ繰り出すのです。
そしてクラブやらスナックをとにかく梯子して飲み歩く。

そこで歌うたうやらどんちゃん騒ぎしたりやらで何と!1日中単調な作業で溜まった疲れ、ストレスが一気に吹き飛ぶからあら不思議。

そうしてまた次の日には元気いっぱいチャートを書きだすオレはあほか?

ほんま飴とムチ

朝の6時から夕方の6時までひたすら方眼紙にチャートを書く。
そして夕方からは銀座へ繰り出しどんちゃん騒ぎ。
毎日これの繰り返し。

そんな生活を続けて4ヶ月経った頃、流石に僕のやってるこれは気学ではないなと分かってきたのです。

そりゃあ誰だって分かってくるってもんです。

一日中師匠のお世話しながらチャート書いてるんです。
時折電話で何やら話してる師匠を見てると、なるほど株みたいなのを証券会社とかに注文してるんやなと分かって来るんです。
するとオレの書いてるチャートはどうやら株の値動きを記録してるという事なのかな?

遂に僕は気づいてしまったのです!!
いやいや普通はもっと早く分かるだろ。

「先生!これ気学と違いますよね、株の記録をつけてるんですよね」と問いかけたら
「その通りだ、これは日経225先物というもののチャートを書いてるんだ」とさも何でも無いかのように返ってくる。

「えー!なんですのそれは、僕は気学を教わりたいんですが...」
「かまわん、大丈夫だそのまま作業を続けなさい」

「いやしかし」
「ええか、今のお前に大事なことは方眼紙にチャートを書く事それだけだ」

有無も言わさぬ師匠の命令に、どこか不満を覚えながら作業する毎日。
そしてこれまた飲みに繰り出しては翌朝からまた元気にチャートを書き続けるけなげな自分(いやただのあほでしょ)

気学という方位学を教わりたく師匠に弟子入りした僕は何故か日経225先物と言うものを教わるという、当時は意味が分からん生活を続けたわけですが、後にこれが僕の人生にもの凄く係わってくることに来ることになるのです。

まあ当時はそんなことも知るすべもなくですが。

どんなにあほでも来る日も来る日もチャート書き続けてたら流石に分かってくるわけです。
6ヶ月経った辺りから見えてくるのです。

チャートの動きを見てポイントが分かってくるのです。
「ああなるほどこういうポイントで売り買いをしたら良いのか」とか
「こういう強く下げているところではポイントは利かなくなるのか」とか。

僕がそんな事を分かり始めた頃から師匠はテクニカルを僕に教え始めるのです。
その頃になるともう気学には執着しなくなり、225先物の動きを書いてるチャートから読んでいくという作業が面白くなってるからあら不思議。

今にして思えばこの時に教わったトレードの手法なるものが相当に凄いものだったと実感するのですが、当時はそんな凄さは分からずただ市場がそのように動くことが面白くてというそれだけで夢中になっていたものです。

そんな師匠との生活が1年続きました。
毎日銀座へ繰り出し飲み騒ぐ生活も1年続きました。

 

 

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